2011年8月15日月曜日

思っています

本日は教習最終日。
いつも通りご飯を食べ、教習所へ。

8:40~、10:40~、13:40~
一時間置きに技能教習。
始めの2時間は、路上に出て最後のおさらい。

明日はミスは最小限にしなければ…。
早め早めに何でもやろうと思います。

13:40~の教習では、方向転換と縦列駐車をやりました。
前にやった時はうまくできたのに、今日は全然ダメダメで、テンパりまくり!!
最終的にはなんとかできるようになったけど…。

やばい!!どうしよう!!
めちゃめちゃ不安です。
けれどやるしかないので精一杯がんばります。

晩ご飯はエビフライ!!
名古屋ではエビふりゃーと言うらしい。知らなかった。
けど、なんかかわいいなぁと思いました。
それから皆でお喋りやら卓球をして部屋に戻り、明日の準備をしました。

いよいよなんだなぁ。
もう明日は卒業検定。
明日、無事合格すればこの宿舎ともお別れ…。

もうあと少しだけど、信州伊那自動車教習所の宿舎はとにかく快適に過ごせました。
エントランスは全てIDカードによるオートロックシステム。さらにSECOMの防犯TVシステムが導入されているので安心でした。部屋の設備も充実!滞在中困ることはなく、ホントに快適な空間でした(^_^)

教習についても、「MT」にして不安だった私が、教官、友達などみんなのおかげで今日まで最短日数でできました!そして何より、合宿だから集中して頑張れた!

だから早く帰りたいような、帰りたくないような…。


明日は気合を入れてがんばるぞ!

うさこさん、いよいよですね。
今日まで本当に頑張ってきましたね。MT教習を最短日数でクリアしたなんてスゴイです!
合宿生活も充実した毎日を過ごしていらっしゃったようですね。
私達、合宿免許教習所.comスタッフも、信州伊那自動車教習所をご紹介できて本当に良かったと思っています。
この調子で明日の卒検もがんばってくださいね。詳しことは、私のブログの記事、http://klawer.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-0802.htmlを参考してください。

免許取得まであと一息

今日はとうとう卒検。
6:00ちょっと前に起きて仕度を整え、朝ご飯を食べに行きました。
ここで食べるのも最後の食事。
毎日毎日おいしいご飯を作ってくれて、本当に感謝です。

そして教習所へ。いよいよだ!
めちゃめちゃ緊張して頭が真っ白になりそうでした。

深呼吸をして気持ちを落ち着かせて、検定開始!

私は2番手だったのでコースを確認したりして余裕が少しだけありました。
いざ自分の番になると若干ふるえてドキドキしっぱなしでした。
交差点を曲がる時、セカンドに変える事はできていたのに、方向指示器を忘れてもうてんやわんや。
なんとか路上検定を終え、場内のコースに戻って来て、私は方向転換。
昨日たくさん練習したからか、本番はうまくいきました。

いよいよ結果発表です。
皆でドキドキしながら館内放送に耳を傾け、電光掲示板へ。

全員合格!!
やったー!!

嬉しくて思わず泣いてしまいました。
皆で卒業記念写真を撮り、卒業式では初心者マークをもらいました。

その後皆で最後のお昼ご飯。
おいしかったぁ。

ここで仲良くなった皆と離れ離れになるのはとても淋しいけど、これからもここで教わったことをいかしてがんばります。

本免試験も受からなければ☆
伊那に来てからの教官や職員の方、受講生の皆さんがいい人達で本当に良かったです。
皆さんのおかげで最短日数で卒業することができました。
ホント皆さんに感謝です!
それに、何より合宿滞在中の生活環境が快適でした。お部屋の設備も充実しているし、ご飯もすごくおいしくて。

伊那に来て本当に良かったです。
ありがとうございました。

合宿免許本免試験、がんばるぞ!

うさこさん、卒検合格おめでとうございます!!
私達も本当に嬉しいです(^_^)v
卒検を一緒に受けた人達も全員合格で、本当に良かったですね。
美しい伊那の里に別れを告げ、帰宅されたら今日はゆっくり休んでください。

さあ、免許取得まであと一息。
信州伊那自動車教習所の先生方も、教習所.comスタッフも応援しています。
本試験、がんばってください!!詳しことは、私のブログの記事、http://klawer.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-e179.html
を参考してください。

温泉カフェ

年明け第一号の日記です。
正月に入り、生活習慣がずれつつある今日この頃。
朝から焦りました(汗
目覚めて時計を見ると、こちら(妙高)に来る電車にギリギリな時間。
危うく遅刻する所でした。

そんな正月ボケの中、修了検定前最後の運転です。
4日のブランクはデカかった!!
エンストするし、脱輪しかけるし、で大変でした。
更に検定前最後の実技(「みきわめ」って言うらしい)だったため、教官も普段より厳しく、ビビリながらの教習でした(涙

明日修了検定なのでペンションで勉強しようかとも思いましたが、修了検定合格後は忙しくなると聞いていたので、最後の息抜きと称して遊んできちゃいました(笑

以前から気になっていた温泉カフェへGoooo!!

マンガがあったり、ネットができたり、卓球台があったりと設備は充実してました。
他にもBARカウンターやスロットがあったりと、大人も楽しめる感じです。
スキーに来た人が多く来るらしく、仮眠室や食堂なんかもありました。
温泉にも入りたかったんですが、バスタオルを忘れてしまったので又今度。

ペンションまで徒歩で15~20分って話だったんで、帰りは覚悟して歩いたんですが、歩いてみると意外に近くてビックリ。
これは通っちゃいそうですね(笑

修了検定前に思いっきり遊んじゃったんで、明日受かるか不安っすね。
でもリラックスできました。
明日は精一杯頑張りたいと思います!!合宿免許

妙高に…お帰りなさ~い!
新年初教習は「みきわめ」だったコックさん。
いよいよ修了検定、頑張ってください。

温泉カフェには色々あるんですね。スキー客がよく利用すると聞いて納得。
皆さん、温泉カフェに行く時はタオルをお忘れなく!

さて、充分休養した後は、ピシッと気合いを入れて行きましょう!詳しことは、私のブログの記事、http://kitule.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-fab7.htmlを参考してください。

技能受かって

どうにか合格できました。いやぁ、良かったっす。
朝から緊張しっぱなしで…(汗
かなり早目に来て学科の勉強してました。
本当は運転の練習がしたかったんですけどね。

昼近くに検定スタート。
まずは心配な運転から。
コースは、念が通じたのか、一番回りやすいコースになりました。
ほっとしたのも束の間、修了検定には他の教習生も乗るんですよ(汗
仲良くなった人なら良かったんですが、話したことの無い人でした(涙
再度緊張し始めましたが、今考えると緊張していたおかげで大きなミスが無かったのかもしれませんね。

全員の検定が終わって技能の結果発表。
ちなみに、僕の受験番号は7番でした。
電光掲示板に、合格者の受験番号が1番から一つずつ点灯していきます。6番までは全て点きました。

7番は…
中々点きませんでした(汗
落ちたか?気まずいやん(涙
って思ってたら、ようやく点灯。
ここまで脅かさんでもイイやろ!
なんてツッコむ暇もなく、学科試験へ。

技能受かって安心したせいか、頭の中が真っ白。
危うく学科で落ちる所でした(汗

無事合格し、仮免GET!!
なんて浮かれてたらすぐ路上運転。
練習コースでは40kmまでしか出せなかったので、路上の60kmにビビってたんですが、走ってみると以外と簡単に出ちゃうんですよ!!
「スピード出すの楽しー!!」
なんて言ったら教官に怒られちゃいました(笑
法廷速度はちゃんと守りましょうね。
コックさん、仮免合格おめでとうございます。
受験番号もラッキーセブンだったんですね。
いやいや、合格したのはコックさんの努力の成果ですよ!
朝からの緊張が報われましたね。
合宿免許
さっそくの路上教習では調子が良かったようですね。
でも、スピードの出しすぎは厳禁!!
常に安全確認を怠らないように運転してください。詳しことは、私のブログの記事、http://kitule.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-491b.htmlを参考してください。

2011年8月5日金曜日

ゼネラルモーターズ

ゼネラルモーターズ(GM)、フォード・モーター、クライスラーの大手3社を総称してビッグスリーと呼び、これらがアメリカの自動車産業をリードしている。かつては他にもパッカードやスチュードベーカー、カイザー=フレーザー等、多くのメーカーが存在したが、徐々に淘汰や吸収合併を受け、1980年代にアメリカン・モーターズがクライスラーに吸収されて以降はこの3社体制が続いている。しかしながら、コンパクトで故障が少なく燃費も良い日本車や欧州車にシェアを奪われ続けた1980年代後半~1990年代にかけて、米国経済は株式市場の高騰、不動産バブルに沸き、ミニバン、SUV等の大型車需要が大きく回復し、大型乗用車にも需要が戻ることとなった。各自動車メーカーは莫大な利益を計上し、それまで前向きではなかった設備投資にも積極的に振り向けることになった。合宿免許は短期教習で免許が取得できることが最大のメリットです。このため1990年代前半から瞬く間に技術開発は進み、世界的な水準に到達することができたが、相変わらず自国市場で人気のある分野に限られており、米国内では利益率が圧倒的に低い小型車コンパクトカーには消極的であったことは否めなかった。このことは自国市場が好景気の時は有利でも、いったん景気が後退し自国市場が冷えた局面では厳しいものとなる様相を含んでいた。そのため、事実の如何に関わらず一般的に見て燃費や足回りが悪い印象を持たれがちな傾向にある。また、デザインは1960年代までを除き概して上級セダンならびに大衆車は保守的ではあるものの、SUVやバン、スポーツタイプなどにアメリカ人が好む量感あふれるマッシブなスタイルや他国には稀なコークボトルスタイルなどが多く、いかにもアメリカンテイストを象徴するものとなっている。
[関連情報]http://osaly.blog16.fc2.com/blog-entry-32.html

アメリカ車

長年にわたって世界の自動車産業界の中心的存在として君臨し、自動車の普及や発展に大きく寄与した。1970年代初頭、オイルショックによるガソリン高騰と排気ガス規制によりアメリカ車が得意分野とした大型車に厳しい時代となり、ダウンサイジングによるコンパクト化を目指すも、この分野を得意とする日本をはじめとする外国勢にシェアを侵食されることとなる。また、設備投資に先行投資するよりも短期の利益確保を至上目的とする経営手法の蔓延、強力な全米自動車労働組合(UAW)との協調による慢性的高コスト(人件費等)体質、自国市場の規模および独自性により自動車の小型化、パッケージングの効率化、燃費性能向上などの世界的トレンドに前向きではなかった。1970~1980年代前半にかけては、米国自動車産業は巨大な自国市場を頼りにはするものの、外国車勢の侵攻にさらされながら歴史上はじめて厳しいシェア競争の時代に突入する。合宿免許は宿泊滞在型ですのでさまざまなところから免許取得の目的の為やってきます。ただし、米国政府には大手自動車メーカーを破産解消させる意思はないとされ、その後1~2年は順調に再生プログラムを展開中である。なお、新車開発や発表も同時に行われており、顧客へのサービス面でも大きな支障を来していないなど、日本国内で一般に考えられているほど危機的状況にあるわけではない。一説には、ガソリンエンジンと回生電気システムのハイブリッド型乗用車を得意とする日本車勢に対し、次の時代に来るであろう完全電気自動車の時代での巻き返しを狙っていると伝えられている。
[関連情報]http://osaly.blog16.fc2.com/blog-entry-31.html

2011年8月2日火曜日

中古車

中古車(ちゅうこしゃ)とは、メーカーで生産され、自動車登録(ナンバー登録)をされた自動車のこと。一般的には、末端ユーザーに購入もしくはレンタルされ、利用された自動車が再び売りに出された、あるいは既に再購入されたものを指す。しかし、ナンバー登録だけなされ、全く使用していない車輌(俗に言う「新古車」。販売店がメーカーからのノルマである販売数量達成のために、試乗車などの名目で登録されたものが多い。)も、中古車と分類されている。年式が相当古い中古車は、一部の人達から「大古車」(たいこしゃ、だいこしゃ)と称される事もある。車齢の若い車は「何年式」という場合の数字が大きいことから高年式といい、製造から年数の経っている古い車は低年式と呼ぶ。1960年代には中古車流通の仕組みが整っておらず、ディーラーが自社で販売しきれない下取り車は直接、あるいはブローカーを介するなどして独立系中古車販売業者に流していた。 独立系業者は零細企業が多く、市場の主導権はディーラーが握っていたが、ディーラーは中古車部門にあまり力を注いでいなかった。合宿免許は短期教習で免許が取得できることが最大のメリットです。1970年代にはオークション形式での業者間取引が各地で行われるようになり、1980年代にはユー・エス・エスをはじめとするオークション業者による大規模な現車オークションや、オークネットによる通信衛星を介したネットオークションなどが行われるようになる。 これにより大口での売却が常に可能となったため、1990年代にはガリバーインターナショナルに代表される新業態「中古車買取専門店」が各地に登場する。 さらに安定した仕入れも可能になったため、特定の車種だけを集めるなどの特徴を持った独立系販売業者も増えることとなった。
[関連情報]http://paranntyazu.blog14.fc2.com/blog-entry-20.html

富士自動車

富士自動車からは、前2輪型のフジキャビンが、少数ではあるが販売された。1950年代前半の日本では、3輪・4輪を問わず、一般家庭が乗用車を所有する水準にはまだ時期尚早であり、このようなモータリゼーション黎明期には、オート三輪でも、大衆では乗用車の代用として通用していた。エンジンパワーが弱く、道路が荒れていたためにスピードが出せず、荷台に乗り込んでいてもそれほど危険がなかったため、日常的な移動手段だった。後年になって道路交通法の改正により、貨物車の荷台への乗車は、荷台の積載状況を監視する目的において最少の人間を乗せることを除いて禁止された。1958年(昭和33年)の4輪車「スバル・360」などの実用的軽乗用車や、正式な後部補助席付きのクローズド・ボディ型ライトバンが比較的廉価になり、普及が本格化したため、「オート三輪の代用乗用車」から3輪乗用車へのシフトは起こらなかった。合宿免許は宿泊滞在型ですのでさまざまなところから免許取得の目的の為やってきます。小型特殊自動車として、3輪の運搬車、3輪のフォークリフトなどが日本各地に普及している。4輪のものより軽量で小回りが利く反面、高速安定性に欠くことから、一般的な公道上で見かける機会は少ない。農地、市場などのエリアで多く存在している。しかし、自動車交通の高速化に伴い、カーブでは転倒しやすく、高速走行に不向きなこと[2]や、居住性の悪さが敬遠されるようになる。さらにはメカニズムが高度になり、内外装のデラックス化が進むにつれ、四輪トラックとの価格差が縮小して、市場での競争力を欠くようになった。これでは敢えて三輪とする意義が薄くなってしまったのである。また1965年(昭和40年)の三輪車運転免許の廃止も、オート三輪に対して不利に働いた。
[関連情報]http://vyjdes.7narabe.net/Entry/13/